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奈良地方裁判所 昭和54年(ワ)96号 判決

原告

喜多一道外一一名

右原告ら訴訟代理人

吉田恒俊

佐藤真理

被告

宗教法人春日大社

右代表者

花山院 親忠

被告

財団法人奈良の鹿愛護会

右代表者理事

花山院 親忠

右被告両名訴訟代理人

笠置省三

倉橋春雄

主文

一  被告らは、各自原告らに対し、別紙被害目録合計欄記載の各金員及び同目録被害額欄記載の各金員に対する昭和五四年一月一日以降、同目録被害額(追加分)欄記載の各金員に対する昭和五五年一〇月一日以降、同目録鹿害防止費用欄記載の各金員に対する昭和五六年一月一日以降、同目録弁護士費用欄記載の各金員に対する昭和五七年一一月一九日以降各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求は、いずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その三分の一を原告ら、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1被告らは、各自、原告らに対し、別紙請求債権目録の被害額欄記載の金員およびこれに対するそれぞれ昭和五四年一月一日より完済に至るまで年五分の割合による金員を附加して支払え。

2被告らは、各自、原告喜多および福本に対し、同目録の被害額(追加分)欄記載の金員およびこれに対するそれぞれ昭和五五年一〇月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を附加して支払え。

3被告らは、各自、原告福本および同奥本を除くその余の原告らに対し、同目録の鹿害防止費用欄記載の金員及びこれに対するそれぞれ昭和五六年一月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を附加して支払え。

4被告らは、各自原告らに対し、同目録の慰藉料欄および弁護士費用欄の各金員およびこれに対するそれぞれ口頭弁論終結時より完済に至るまで年五分の割合による金員を附加して支払え。

5訴訟費用は被告らの負担とする。

6仮執行宣言

二請求の趣旨に対する答弁

1原告らの請求はいずれも棄却する。

2訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らは、いずれも奈良市白毫寺の高砂町或いは尾上町に居住し、別表被害一覧表1の(1)ないし(5)記載の被害場所において、田畑を耕作する者である。

被告宗教法人春日大社(以下、被告春日大社という。)は、昭和二八年二月一八日設立された宗教法人であり、被告財団法人奈良の鹿愛護会(以下、被告愛護会という。)は、昭和九年三月六日設立された財団法人である。

2  奈良の鹿の所有者

被告春日大社は、主たる棲息地を奈良公園とするところの天然記念物に指定されている奈良の鹿(以下、奈良の鹿という。)を所有する。同被告が奈良の鹿の所有者であることは次の事情から明らかである。

(一) 被告春日大社は、奈良の鹿につき文化財保護委員会に対し天然記念物指定の申立てをしているがその際の申立書には、奈良の鹿の所有者として同被告名が記載されていたところ、同委員会は、奈良の鹿につき、昭和三二年九月一八日付で指定地域を定めることなく「奈良のシカ」の名称で天然記念物に指定し、官報で公告したうえ、その旨を被告春日大社に通知している。そして、現在、天然記念物に関する事務を所掌している文化庁においては、奈良の鹿の所有関係につき、右申立ての際の申立書の記載内容を前提として事務処理を行なつている。

(二) ところで、奈良の鹿は、歴史的、伝統的に被告春日大社(所有)の神鹿として、一般民衆に認識され、また被告春日大社もそのような取り扱いをしてきた。特に、奈良の鹿が天然記念物に指定された後においても被告春日大社は、少なくとも別紙分与表記載のとおり奈良の鹿を有償ないし無償で第三者に譲渡しているし、また、奈良の鹿を轢いた自動車の運転手や、それを捕獲し、殺した者から埋葬料名目で相当の金員を受領している。更に、毎年実施されている鹿の角伐り行事にしても、形式上主催者は被告愛護会とされているが、その実質は、被告春日大社の意向によつて催され、右角伐り用の雄鹿の捕獲や角伐りも被告春日大社がそれ等鹿の所有者であることを前提にして行なわれている。

(三) そうしたことは、昭和四一年頃、奈良の鹿を捕獲し、毀損した者が、いわゆる文化財保護法違反、窃盗罪として起訴された事件の審理に際し、当時の春日大社の宮司であつた三条実春が、奈良の鹿が春日大社の所有である旨証言していたことからも裏づけられる。

(四) そして、被告愛護会が奈良の鹿を管理し、占有していること後述のとおりであるが、その事務所が被告春日大社と同一の場所で、しかも被告春日大社の代表役員が被告愛護会の代表理事に就任することになつているうえ、被告春日大社が被告愛護会の人事権を握つている等、被告春日大社は、右のとおり密接な関係にある被告愛護会を通して奈良の鹿の管理、占有をしている。

3なお、右天然記念物に指定された奈良の鹿は、そのほとんどが、被告春日大社の敷地を含む奈良公園に定住しているが、そのうち主として春日奥山周遊道路の東側に棲息する鹿は、人影を見たらすぐに逃げるなどといつた習性からしても被告春日大社が所有しない野生のものである。

しかしながら、本件の後記被害場所は、野生の鹿が生息する右場所とは遠く離れ、むしろ、奈良公園のすぐ近くに位置しているし、後記被害を発生させた鹿の習性は野生の鹿のそれではなく、人に馴化したもので少々追払らつても急いで逃げず、また、逃げても、すぐに戻つてくる類のものである。

4  奈良の鹿の占有・管理者

被告愛護会は、奈良の鹿愛護に関する各種の施設をなすことを目的として設立された法人で、奈良の鹿をいわゆる放飼いの状態ではあるが、鹿苑の設置、管理、奈良公園ないし鹿苑への追いあげ、フレンチホルンによる鹿寄せ、更には鹿に餌を支給し、奈良市農業協同組合を通して鹿害の賠償する等、そうした行為を通して奈良の鹿の占有、管理を行なつている。

5  被告らの責任

(一) 奈良の鹿は、第二次世界大戦前約九〇〇頭いたが、戦後約七九頭にまで激減し、その後、天然記念物に指定されたり、また、被告らの保護育成もあつて昭和三八年には約九四七頭、そして同四三年には約一〇九〇頭、同五三年には約一〇四七頭と増加し、その後、約一〇〇〇頭位で維持されているが、被告春日大社の敷地を含む奈良公園での鹿の適正頭数は、その付近の草などの餌の量からみて約六〇〇頭ぐらいが限度であつて、現在のように右限度(適正頭数)をはるかに超える鹿がいる場合には、餌に困つた鹿が、奈良公園に隣接する原告らの後記農園や畑等を荒すことを十分予見できるところである。

(二) したがつて、被告らの如く、奈良の鹿を所有し、あるいはその占有管理をするものとしては、まず、その適正頭数に保つべき義務を負担し、また、後記被害のあつた昭和五一ないし五五年のようにその適正頭数を超える場合には、後記原告らの農園などに出没しないように鹿に十分の餌を与え、あるいは、柵を設けるなどしてその対策を講ずべき注意義務がある。

(三) ところが、被告らは、右注意義務を怠り、右のような措置をとらなかつたため、後記原告らの被害が生じたものであるから被告らは、所有者或いは占有管理者としてそれぞれ後記原告らの損害を賠償すべき義務を負つている。

6  損害

(一) 原告らの被害(損害)は、別紙請求債権目録記載の通りであつて、その農作物自体の被害の内訳け及びその鹿害被害の場所は、別表被害一覧表1の(1)ないし(5)記載の通りで、また、鹿害防止費用の内訳け及びその防止設備を設置した場所は、別表鹿害防止費用明細表1の(1)及び(2)記載のとおりである。

(二) なお、原告らの慰謝料の請求であるが、前記のとおり被告らが原告らに対して鹿害防止措置を採らない状況の下で原告らは、自らの畑の耕作物が鹿によつて荒されないように、その畑などを見回り、また、柵を設置するなど日常的に鹿害について注意を払つてきたが、右のように注意をはたらかせることは、原告らにとつて非常に大きな精神的負担(苦痛)を負わせるものであるから、被告らは、原告らに対し、少なくとも前記金額を支払うのが相当であり、また、本訴提起並びにその遂行のためには、法律専門家たる弁護士に訴訟委任をするのが相当で、その費用は、前記金額とするのが相当である。

7よつて、原告らは各自、被告春日大社に対し不法行為による損害賠償請求権(主位的に民法七〇九条、予備的に同法七一八条一項を根拠条文とする。)に基づき、また、被告愛護会に対し不法行為による損害賠償請求権(民法七〇九条または同法七一八条一項を根拠条文とする。)に基づき、別紙請求債権目録合計額欄記載の各金員及びそのうちいずれも不法行為以後の日であるところの同目録被害額欄記載の各金員に対する昭和五四年一月一日以降、同目録被害額(追加分)欄記載の各金員に対する同五五年一〇月一日以降、同目録鹿害防止費用欄記載の各金員に対する昭和五六年一月一日以降、同目録弁護士費用欄記載の各金員に対する本件口頭弁論終結時である昭和五七年一一月一九日以降から各支払ずみにいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告両名の認否

1請求原因1の事実は、認める。

2同2の事実のうち、

(一) (一)の事実は認める。

なお、被告春日大社が、奈良の鹿につき天然記念物の指定申立をした際その所有者欄に同被告を記載したのは、申立人を明らかにする趣旨であり、またその指定も地域や右所有者等については右申立通りになされていない。

そして、奈良の鹿に対する天然記念物の指定も、後記の如き事情に基づくものであるから、文化庁の処理は誤りである。

(二) (二)の事実のうち別紙分与表記載のとおり奈良の鹿を移転させたことは認めるがその余の事実は否認する。

なお、被告春日大社は、文化財保護委員会の天然記念物の現状変更許可に基づき奈良の鹿を同被告由縁の神社に別表分与表記載のとおり移転したもので、それは、通常の売買或いは贈与とは異なり、宗教的に神鹿を「差し遣わす」という趣旨のものであつて、その際一部の者から金員を受領しているが、これは奈良の鹿の保護育成をなすにつき必要な資金に困窮していた被告愛護会に交付する趣旨でなされたもので、被告春日大社の会計には一切入つて居らず、鹿を譲渡したことの対価を得たものでは決してない。

また、鹿に関係ある刑事事件の被告人から(被告春日大社ではなく)被告愛護会が金員を受領したことはあるが、それは、被告人が刑の軽減を裁判所に懇請するためその受領を依頼されたためである。

(三) (三)の事実は否認する。

(四) (四)の事実のうち、被告春日大社の代表役員が被告愛護会の代表理事に就任することになつていること、そして、被告らの事務所が同一の地番上にあることは認めるが、その余の事実は否認する。

3同3の事実は否認する。奈良の鹿はすべて野生である。

4同4の事実のうち、被告愛護会が天然記念物に指定されている奈良の鹿のうち鹿苑内で管理しているものを除いて占有管理していることは否認し、その余の事実は認める。

5同5の事実のうち、

(一) (一)の事実中、奈良の鹿の適正頭数や鹿による被害の予見可能性の点は争い、その余は認める。なお右適正頭数は約一、〇〇〇頭である。

(二) (二)及び(三)の各事実は否認する。なお、柵を設置することは経済的、技術的に不可能というべきである。

6(一) 同6(一)の事実は不知。

(二) 同6(二)の事実は不知。なお、弁護士費用の点であるが、民事訴訟においては弁護士強制主義を採用せず、当事者本人主義を原則としているので、右費用の請求は何等理由がない。

7同7の主張は争う。

三  被告らの主張

(被告春日大社)

1春日大社の神鹿として呼称されるに至つた経緯

春日大明神が春日山に影向するにあたり、鹿に乗つてきたものとする説話が世に広まり、鹿は、大明神の使いのもの、転じて大明神そのものというように神格化がなされていつた。

とくに、平安時代中期の藤原氏の全盛時代、神仏習合の進んだころ、興福寺が春日大社の実権を握り、春日の神威を借りてその勢力を伸ばし、その際、鹿の神格化に努め、その保護を積極的にはかつた。その後神鹿思想は、明治になるまで一時期(徳川時代初期)を除いて漸次退潮していつたが、明治時代になると時の政府の神仏分離、神祇思想の昂揚政策とくに春日大社が官幣大社として保護されたこと、及び奈良の鹿が奈良の観光のための重要な存在になるなどに伴い、奈良の鹿が神鹿として再び積極的に保護されることになつた。

2奈良の鹿が、春日大社の神鹿ないし鹿として称せられるようになつたのは、必ずしも、春日大社が奈良の鹿を所有しているという事実を前提とするものではなく、右歴史的事実によるもので、また、そのように称することが、奈良の鹿を保護するのに最も適当な方法とされたためであつた。

3ところで、第二次世界大戦による鹿の餌の減少、食料不足に基づく鹿の密殺等で戦中から戦後にかけて奈良の鹿は前記のとおり激減したが、戦後においては政府において政教分離政策が採られたこともあつて前記の如き保護政策を実施することができないところとなつた。そこで、前記原告主張の如き奈良の鹿に対する天然記念物の申請ないし、その指定に基づいてその保護をはかることとなつた。

なお、右天然記念物の指定であるが、奈良の鹿は、右指定基準のうち(a)特有の産ではないが日本著名の動物としてその保存を必要とするもの及びその棲息地(b)日本に特有な蓄養動物として指定されたものではなく、(c)自然環境における特有の(主に奈良市一円に於ける自然環境の中で野生のまま人に馴化した性質を持つ特有の)鹿及び鹿の群聚として学術上貴重で、わが国の自然を記念するものとして指定されたものである。

右天然記念物の指定も、被告春日大社の所有を前提としていない。

4仮に、前記官幣大社であつた春日大社と奈良の鹿との間においてその所有関係が存在していたとしても、被告春日大社は、昭和二八年二月一八日設立登記されたもので、右官幣大社であつた春日大社とは別個独立した法人格主体であつて、被告春日大社が所有していた資産は、その当時作成し、奈良県知事の認証を受けた規制に掲げられた特別財産(宝物及び什物等)、基本財産(土地、建物、公社債等)及び普通財産(右基本財産以外のもの)に分類されていたが、奈良の鹿については、右いずれの分類のなかにも掲げられていない。

5してみると、被告春日大社は、原告らの農作物に被害を及ぼした鹿のみならず、奈良の鹿につきその所有権を有しないばかりか、その管理占有権も有していないというべきである。

(被告愛護会)

6被告愛護会は、鹿の保護育成に関する業務を行なうものであつて、鹿害の発生防止をその業務内容とするものでないところ、被告愛護会がなす保護育成の業務としては、前記以外に人身事故防止のため鹿の角伐りを実施し、また鹿の愛護思想の普及昂揚の一貫として鹿の存在を忌避する地域において、鹿の上に発生するかも知れない不測の事態を防止するため捕獲したりして鹿害対策事業を行なつている。前記農協との契約もこの一貫の一つである。なお、右捕獲にあたつては、文化財保護法及び狩猟法に基づいて行なつているが、とくに捕獲柵は、奈良県と奈良市の補助事業に基づいて設置されたもので、奈良市猟友会がそれの管理者となつて、そこに鹿が入つた場合には、被告愛護会が鹿苑に保護収容することになつている。

7右被告愛護会の鹿の保護育成のための行為は、鹿に対する占有、管理権とは何等関係なく、奈良の鹿のもつ信仰的文化伝承と野生動物を含む自然保護という国民的責務による善意から発したものである。

8右の事実、及び前記天然記念物指定の経緯等からみると、被告愛護会は原告らの農作物に被害を及ぼした鹿のみならず、奈良の鹿につきその占有、管理をなすものではない。

四  被告らの主張に対する認否〈以下、省略〉

理由

第一  当事者

請求原因1の事実は、各当事者間に争いがない。

第二  奈良の鹿の所有権・占有権帰属の有無とその主体

古くから奈良市一円、就中、奈良公園を中心として多数の鹿が、柵を設けるといつた物理的な管理を受けることもなく群をなして棲息し、奈良市住民と共存していることは、各当事者間に争いなきところ、原告らは右鹿が被告春日大社の所有に属し、同被告及び被告愛護会の占有下にある旨主張するので以下、検討する。

1  被告春日大社、同愛護会両者の奈良の鹿に対する係り方とその関係

一(奈良の鹿の歴史的背景と第二次世界大戦後における保護状況)

先ず、奈良市一円に鹿が古くから棲息していること前示のとおりであるところ、奈良の鹿が古代から春日大社(法人格を取得する以前から)の神鹿、すなわち、春日大明神の使いの者或いは春日大明神そのものというように神格化され、現在に至るまで一貫して「春日大社の鹿」と称されて(その神格化の程度、意味、内容は時代の流れにより変化はあつたにせよ)奈良市民等から崇められ、親まれ、それ等の人々と共存して来たこと、ただ、その保護の在り方や程度には、時の政治的背景等の違いにより変化があるうえ、第二次世界大戦前約九〇〇頭棲息していた鹿が、戦後飼料や食肉の問題等から急速に減少し、一時は七九頭にまで減り、絶滅のおそれも出たこと、しかし、奈良の鹿の保護育成に関する業務を行うことを目的として設立された被告愛護会の鹿を保護するための必要な幅広い活動(鹿苑の設置・管理、同苑での餌の供与、奈良公園内外のパトロール、奈良公園外へ出た鹿の同公園内への追上げ、負傷した鹿の収容、角伐り、鹿の農家からの追い出し、そして鹿害を及ぼした鹿を鹿苑に隔離する等)と、奈良の鹿に対する国の保護、すなわち、昭和二三年に天然記念物の仮指定、昭和三二年に天然記念物の指定がなされるなど文化財保護法による保護を受けて、次第にその頭数を増し、昭和三八年には九四七頭、昭和四三年には一、〇九〇頭、昭和五三年には一、〇四七頭となつて現在に至つていることは、それぞれ各当事者間に争いがない。

二(被告愛護会の組織運営と被告春日大社との物的、人的繋がり)

前記のとおり、第二次世界大戦後現在に至るまでの被告愛護会が鹿の保護に果した役割は極めて重要且つ必要欠くべからざるものであつたところ、〈証拠〉によれば、被告愛護会の前示業務運営に当つて必要な費用(職員(常勤九名、非常勤一名(獣医))の給与、角伐り行事の経費、鹿の飼料費、鹿害対策費等)の財源としては、鹿を管理することによつて得る収入(角の処分代金、鹿煎餅の証紙代金)を除くと、奈良県、奈良市、被告春日大社、若草山保護会からの補助金の他、被告愛護会の会員(奈良公園内及びその周辺の観光業者を中心とする現在約四〇〇名の会員)からの会費が主要なもので、いずれも奈良に鹿が棲息することを望む団体或いは人々に依存しているところ、右のとおり被告春日大社も右主要なものの一つとして財政的に参加していること、被告愛護会の予算、決算、資産の管理といつた組織運営に関する事項や鹿の保護に関する事項といつた重要な事柄については、同被告の評議会において決定され、同会議の議長には被告愛護会の代表理事が就任するところ、同代表理事は被告愛護会を代表することはもとより会務全体を統括するうえ、評議会を構成する評議員を委嘱する権限を有すること、従つて、右代表理事は被告愛護会の組織運営上極めて重要な地位を占めることになるが、その代表理事には被告春日大社の代表役員である宮司が就任することになつていること、この事は被告愛護会の前身である春日神鹿保護会(被告愛護会と名称が変更される以前に、奈良の鹿につき、とくに春日大社の神鹿としてその保護育成に努めてきた。)当時も同様であつて、春日神鹿保護会が右のとおり「春日大社の鹿」を保護する組織であつたことから、その代表者には春日大社の代表者が就任するのは当然のこととされて来たこと、又、昭和二〇年頃から被告愛護会の事務所は被告春日大社の所有地内に置かれ、同敷地を被告春日大社が被告愛護会に無償で貸与しているほか、被告春日大社が奈良の鹿を自己の所有動物として別紙分与表記載のとおり他へ分与していること後記のとおりであるが、その際の鹿の搬送等の行為は全べて被告愛護会が管理団体として行つている等、被告春日大社と被告愛護会とは人的・物的にも密接な繋がりを持ち、被告春日大社は、被告愛護会の鹿の保護育成に関する諸種の業務に自己の意思を反映し得る立場にあるうえ、実際にも右保護育成に関連する個々の行為について密接な関与をして来たことが認められ、(但し、同事実中、被告春日大社の代表役員が、被告愛護会の代表理事に就任すること、そして同被告の事務所が、被告春日大社のと同一の場所にあることは当事者間に争いがない。)右認定を覆えすに足りる証拠はない。

三(前示大戦後における被告春日大社の奈良の鹿の所有意思の有無)

然るところ、奈良の鹿が天然記念物の指定を受けたこと前示のとおりであるところ、右指定の申請者に被告春日大社がなり、その際の申請書には同被告が奈良の鹿の所有者として記載されていたこと、これに対し文化財保護委員会が昭和三二年九月一八日同指定の公告を官報をもつてなし、被告春日大社にその旨の通知をなしていること、その後被告春日大社がいずれも文化財保護委員会から天然記念物の現状変更の許可を受けたうえ別紙分与表記載のとおり昭和二二年一一月二〇日から昭和四五年四月二日にかけて、前後六回に亘つて二頭ないし二〇頭の奈良の鹿を同被告に由縁のある者に分与し、その分与先の一部から二〇〇万円の金員を受領していたことは、それぞれ各当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、被告春日大社は、右鹿の分与によつて受領した金員は被告愛護会に交付していること、右分与の際必要な文化財保護委員会に対する天然記念物の現状変更許可申請に当つては、被告春日大社を鹿の所有者、被告愛護会を管理団体(但し、昭和三二年一一月二五日付許可に対応する申請書については被告愛護会の記載はない)と記載されていること、そして、昭和四〇年一二月初旬から昭和四一年二月初旬までの間、奈良の鹿を密猟したとして窃盗、文化財保護法違反の罪で起訴された者の審理に際し、当時の被告春日大社の代表役員である宮司が、奈良の鹿は古くより被告春日大社の所有に属していたことを自認する趣旨の供述をしていたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はなく、右各事実に、奈良の鹿が春日大社の神鹿として保護されて来た前示歴史的背景・沿革や第二次世界大戦後奈良の鹿を「春日大社の鹿」として保護育成の業務に当つて来た被告愛護会と被告春日大社の前示のような密接な関係等を照らし合わせると、被告春日大社は、奈良の鹿が伝統的に自己に帰属するものと認知していたものと認められる。

もつとも、被告春日大社は、同被告が天然記念物指定の申請に際して、申請書の所有者欄に同被告名を記載したのは申立人を明らかにする趣旨のもので、自己が奈良の鹿の所有者と考えていたものではなく、又奈良の鹿を別表分与表記載のとおり他へ移転させたのは宗教的な意味で神鹿を「差し遣わす」という趣旨のもので、その際一部の者から金員を受領したのも被告愛護会へ鹿を保護する費用として交付されたもので、被告春日大社が対価を得て鹿の所有権を移転させたものではない旨主張する。しかし、単に申立人であることを明らかにする為なら申請者として記載すれば足り、それ以上に所有者欄に被告春日大社名を記載する必要はなく、又被告春日大社が鹿を他に分与するに当つてなした文化財保護委員会に対する前示許可申請の申請書には被告春日大社を奈良の鹿の所有者として記載していること前記のとおりであるうえ、如何に信仰上の意味があつたにせよ奈良の鹿をその意思によつて他の者の支配下に終局的に移転(対価の有無を問わない)させるにはそれなりの権限、すなわち奈良の鹿を処分する権限が自身にあるとの認識があつたものといわざるを得ない以上、被告春日大社の右主張はいずれも理由がない。

四(奈良の鹿が被告春日大社の所有に属するとすることに対する関係団体及び人々の反応)

他方、春日大社の神鹿として奈良市民等から崇められ、親まれた奈良の鹿が第二次世界大戦後も被告愛護会によつて被告春日大社の鹿として保護育成されて来たこと、そして被告春日大社のほか、奈良県、奈良市、若草山保護会或いは被告愛護会の会員である観光業者等、奈良の鹿の保護に関心のある団体及び人々の経済的出捐によつて被告愛護会の組織が運営されていること前示のとおりで、それ等の事実に弁論の全趣旨を綜合すると、右関係団体や奈良市民等は、奈良の鹿が伝統的に「被告春日大社の鹿」として、同被告に帰属することを是認し、これを前提として行動してきたものと認められるのみならず、(被告春日大社が本訴において奈良の鹿が自己の所有に属するものではない旨主張する以外に)奈良の鹿が被告春日大社の所有に属することに異をたてる者の存在を示す証拠は全くない。

2  奈良の鹿の支配可能性の有無

ところで、或る動物、殊に本件におけるような多数の鹿が柵等の物理的な管理もない形で群棲しているような場合に、それが何人かの所有権或いは占有権の対象となつているといい得る為には、その者につき当該動物を排他的に支配し得る可能性のあることを前提としてその排他的支配をしていることが必要と解されるところ、〈証拠〉によれば、古くから奈良に棲息する鹿は、日本でも最も一般的な「ニホンジカ」であるが、被告春日大社の境内地の一部を含む奈良公園一帯を主な棲息区域として定住し、他の地域に棲息する「ニホンジカ」たとえば、春日奥山周辺道路の東側の野生の鹿と交流はほとんどなく、そうした野生の鹿とは異り、人影を見ても逃げないばかりか、その棲息地域の住民や観光客等の人々に馴化し、それ等人々が与える煎餌等の食物や鹿苑(約一万三、〇〇〇平方メートルの面積を持ち、角伐り行事の時期以外では常時八〇ないし九〇頭の鹿がいるが同苑は開放され(但し、負傷した鹿や農作物に被害を与える鹿を収容する隔離部分は除く)、同苑外の鹿とは出入りがある)内での飼料、更には奈良公園内の芝生等によつて生育していること、又、各群の棲息する地域もほぼ限定され、一定の場所を中心に回遊して生活しており、いわゆる帰巣性とも言うべき性状があり、他の野生の鹿とはその識別は極めて容易であること、そして、各群の鹿の頭数が棲息地域の場所的空間の広さと食物の量との間に均衡が保たれるか否かにより棲息地域に対する定着性と帰巣性の程度の強弱を左右し得ること、そして、鹿の棲息する地域の全域にわたり巡視、巡察が可能であり、巡視によつて鹿の餌の多寡、回遊の状況、その他生育、生活の状況を把握することができることが認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

右事実によれば、鹿の群棲の地域がほゞ限定されていること、他の野生の鹿との識別が容易であること、回遊、帰巣的習性があること、飼料、食餌の如何により棲息地域への定着性を左右し得ること、巡視によつて鹿の生活観察が十分可能であることが認められるから、棲息地域の外廻りに全べて柵を設置するといつた物理的措置を講ずることなく、鹿を同地域から他へ流出することを防ぎ、しかも付近農家の農作物等に被害(以下、鹿害と総称する)を及ぼすこともなく、いわば放飼いの形で支配管理し得るものと言うべく、群棲する前叙の奈良の鹿に対しても排他的な支配の可能性があり、民法上の所有権及び占有権の客体になり得るものと解するを相当とする。

3  被告春日大社及び被告愛護会の奈良の鹿に対する支配可能性の有無

然るところ、第二次世界大戦後、被告愛護会が奈良の鹿の保護育成に努め、その結果右大戦後大幅に減少した鹿の頭数も回復する等、奈良の鹿の保護育成という点での被告愛護会の果した役割は極めて重要且つ欠くべからざるものであつたほか、右のような鹿の保護育成というのみでなく、奈良公園外へ出た鹿の公園内への追いあげや鹿害を及ぼす鹿を鹿苑内に隔離する等鹿害防止に関する行為をもなしていること前記のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、被告愛護会は、昭和五一年に鹿害対策委員会を設けて鹿害防止対策や鹿害に対する補償問題に取組みはじめ、毎年奈良の鹿の頭数の調査、鹿害状況についての現地調査を実施し、奈良市農業協同組合との間で鹿害に関する協定をなし、毎年一定の見舞金を被告愛護会から支給し(この点は各当事者間に争いがない)、又鹿害を及ぼす鹿の捕獲柵設置に協力する等、鹿害防止対策に関連する行為をも(それが右防止にどの程度効果を発揮しているかは暫く措くとしても)積極的になしていること、そして、被告春日大社が別紙分与表記載のとおり奈良の鹿を他へ分与し、その際被告愛護会が協力していること前示のとおりであるが、右分与が実施されたのは、奈良の鹿の頭数が増加し、その事から食餌に不足を来たし、それが為に鹿害を及ぼすことが多くなつている現状から鹿害を及ぼす鹿を減らすことにあつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右事実及び被告愛護会と被告春日大社との密接な繋がり等の前示事実を綜合すると、被告愛護会は、自ら直接に奈良の鹿の保護育成や鹿害防止の為の諸種の行為をなし、又、被告春日大社の意を体し、同被告を通じて文化財保護委員会の許可を得た上、鹿の頭数の適正管理を行い得る立場にあるものと解することができ、一方、被告春日大社は、右の如き機能を保持する被告愛護会を通じて奈良の鹿の保護育成や鹿害防止に関与し、被告愛護会の策定する鹿の適正頭数の維持のために、自ら文化財保護委員会の許可を得て、鹿を他へ転住させることや、奈良公園内の鹿に食餌を与えるなどして同公園外に出ないようにすることができる立場にあるものと解するのが相当である。

叙上の諸事実、すなわち、奈良市一円、就中、奈良公園を中心として群棲する奈良の鹿が、古くから春日大社の神鹿として、歴史的、伝統的に被告春日大社とは浅からぬ因縁を有し、被告春日大社も奈良の鹿を自己に帰属する動物として観念していたこと、被告愛護会はもとより鹿に関心のある関連団体及び人々も、奈良の鹿が被告春日大社に帰属する動物であることに異議はなく、これを是認してきたこと、他方、奈良の鹿は、その習性から他の野生の鹿とは容易に区別が出来、その頭数と食物の量を調整することにより放飼いの形でも棲息地域から他へ流出することを防ぐことができるなどその管理、支配が可能であること、そして被告春日大社は、被告愛護会を通じて、同愛護会は自ら直接に右鹿の保護育成、鹿害防止策を現に行つており、又、それに関連して鹿の適正頭数を維持するために、その頭数と食物の量の調整等を行うことができる立場にあること等の諸事実を綜合すると、奈良の鹿は、被告春日大社の所有に帰属するものと認めるべく、他面、被告愛護会の占有にも属するものと解するのが相当である。

この点、被告春日大社は、奈良の鹿が春日大社の神鹿或いは鹿として保護されて来たのは信仰上の理由と保護する方法として適当とされたからであつて、奈良の鹿が被告春日大社の所有に属するからではない旨、又被告愛護会は、奈良の鹿の有する信仰的文化伝承と野生動物を含めた自然保護をしたいという人々のいわば善意から奈良の鹿の保護育成をなして来たもので、奈良の鹿を占有・管理しているものではない旨それぞれ主張する。そして、前示事実関係を綜合すると、奈良の鹿が春日大社の神鹿或いは鹿として保護育成されて来たその根底には信仰心があつたであろうこと、又被告愛護会の発足(神鹿保護会においても同様であるが)とその後の活動の根底には、被告愛護会が主張するような人々の善意があつたであろうことは容易に推認し得るところである。しかし、右の諸事情も奈良の鹿が、被告春日大社の所有に属し、被告愛護会の占有下にあると認めるについて何ら妨げとなるのではない。したがつて被告らの右各主張はいずれも理由がない。

なお、被告春日大社の財産ないし資産目録のいずれの記載のなかにも奈良の鹿の記載がないことは明らかであるが、それをもつて、前記認定を妨げるものではない。

第三  責任原因

一  被告春日大社

被告春日大社が奈良の鹿の所有者であり、被告愛護会がその占有者で、いずれもそれぞれの立場から奈良の鹿を支配し、管理し得る地位にあること前記のとおりであり、又原告らが、右奈良の鹿により鹿害を受けていること後記のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、従来道路に柵を設ける等して農家に鹿が出入りすることをある程度防がれていたものが、昭和四〇年頃から自動車交通が激しくなり、右柵のほとんどが撤去され、しかもその後更に右交通が頻繋となり、且つ建造物も増加する等、鹿が棲息する場所的範囲或いは棲息空間が次第に狭められて来たこと、そうした事情の下で、奈良の鹿の頭数が漸次増加した結果、その棲息地域の面積や得られる食物の量との対比において適正とされる頭数(すなわち、奈良の鹿が他地域へ流出することを防ぎ、付近農家に鹿害を発生させることを防止することの出来る頭数)を遙かに越え、超過密状態になつていること、それに伴い奈良公園周辺地域において鹿害が発生し、殊に昭和五一年以降にはそれが顕著になつたことが認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。又遅くとも昭和五〇年以降、奈良の鹿が奈良公園周辺地域において鹿害を発生させていることを被告ら両名が認識していたことは、各当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告春日大社は、奈良の鹿の所有者として、又被告愛護会は、その占有者として、それぞれの立場から協力し奈良の鹿による鹿害を防止するため前示適正頭数を調査、算出し、文化財保護委員会の許可を得たうえ鹿を他へ移転させる等して、鹿の頭数を調整して常時右適正頭数を保つべき義務があり、また、その適正頭数を超えて奈良の鹿が増加した場合には、右移転措置及び奈良公園周辺部における田畑の周囲に金網を張つたりまた奈良公園内の鹿に餌を支給するなどして鹿の同公園外への逸脱を防ぎ、その被害発生を防止すべき注意義務があると解されるところ、被告ら両名は、少なくとも、昭和五〇年には、奈良の鹿の頭数が右適正頭数を超え、それがため鹿害を発生せしめていることを知りながら、適正頭数維持に関しては毎年の奈良公園内の鹿の頭数の調査及び別紙分与表記載の限度で鹿の移転をなしたのみで適正頭数を保つ為の努力をいずれも怠り、また、昭和五〇年以降の鹿害対策についても、奈良公園外に出た鹿を園内に追い上げるという前示行為や、被害調査ないし、被害が出た一部の者にその賠償をすると言つた程度に過ぎず、被告らの右行為は、いずれも被告らに要請されるべき右注意義務に違反している。

従つて、被告春日大社は、奈良の鹿(但し前記野生のものは除く)の所有者として、同鹿が農作物に被害を与えたときには、民法七〇九条により、その損害を賠償すべき義務があると言わざるをえない。

二  被告愛護会

同被告が奈良の鹿の占有者であること前示のとおりであるから、同被告は民法七一八条により奈良の鹿が原告に発生せしめた後記損害を賠償すべき義務がある。

もつとも、同被告は、鹿害防止について種々の行為(公園内外のパトロール等)を同被告が実施している旨主張し、それが同法七一八条但書の主張と解し得なくもないが、仮にそうだとしても、それ等行為だけでは「相当の注意」を尽くしたとはいえないこと前記のとおりであるから、結局理由がない。

第四  損害

一原告らが鹿害を受けていること後記のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、原告らの農作物に対する被害は冬期を除いた全季節に及び、その被害場所も、前記野生の鹿が棲息する地域から離れ、むしろ、被告らが所有し、占有する奈良の鹿が主に棲息する奈良公園に近接し、しかも角伐りを終えた雄鹿や人が追い立てても仲々逃げようとせず、一旦逃げても、間もなく引き返えして来るといつた人に馴化した鹿が出没していることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右事実によれば、原告らに被害を与えた鹿は、被告らが所有し、占有している奈良の鹿であると推認することができる。

二そして、〈証拠〉によれば、原告らが、被告春日大社の所有し、被告愛護会の占有する奈良の鹿によつて蒙つた損害は、別紙被害目録記載のとおりであつて、その農作物自体の被害の内訳け及びその被害場所は、別表被害一覧表2の(1)ないし(5)記載のとおりで、また鹿害防止費用の内訳け及びその防止設備を設置した場所は、別表鹿害防止費用明細表2の(1)及び(2)記載のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右鹿害防止設備を設置するに当り、それに従事した人の日当は、前記原告ら各自の右の日当請求額及びそれぞれの均衡を考慮して、一人一日当り八〇〇〇円を上限とするのが相当である。

三なお、慰謝料請求の点につき、原告らは、日常的に鹿害の発生防止に注意を払つてきたが、このように注意を働かせることは非常に大きな精神的苦痛を伴うことであるから被告らはこの精神的苦痛を慰謝するため金員によつて賠償すべきである旨主張するが、本件のような動物によつて蒙つた物損の場合には、特段の事情なき限り右物損につきその損害の填補をなせば足りそれ以上に慰謝料として損害を賠償すべき必要性はないと解すべきところ、本件において右農作物被害の賠償とは別個に金銭に評価して賠償を必要とする程の精神的苦痛を原告らが蒙つたと認められる特段の事情の存在についての主張立証はない。

したがつて、原告らの慰謝料部分の請求は、いずれも理由がない。

四また、弁護士費用の点であるが、弁論の全趣旨によれば、原告らが弁護士に委任して本訴を提起したことは、その権利擁護のため必要やむをえないものと認められるので、弁護士費用のうちその相当額を被告らにおいて賠償すべきところ、被告らの賠償すべき弁護士費用の額は、本件事案の性質、内容、本訴請求額及び前記認容額等に照らし、右認容額の一割とするのが相当であると認める。

五以上のとおり、その余の点について判断するまでもなく被告ら両名は、原告らが蒙つた前示損害を賠償すべき義務を負担するところ、右両債務の関係は、いわゆる不真正連帯債務の関係と解する。

第五  結論

よつて、被告らは各自、原告らに対し前記各金員及びいずれも右各金員の損害の発生後である(1)別紙被害目録被害額欄記載の各金員に対する昭和五四年一月一日以降(2)同目録被害額(追加分)欄記載の各金員に対する昭和五五年一〇月一日以降、同目録鹿害防止費用欄記載の各金員に対する昭和五六年一月一日以降、同目録弁護士費用欄記載の各金員に対する昭和五七年一一月一九日以降支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるから、いずれもこれを認容し、その余は失当として、いずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(諸富吉嗣 山田賢 中村哲)

別表 被害一覧表〈省略〉

(別紙)

被害目録

(単位 円)

番号

原告氏名

被害額

被害額(追加分)

鹿害防止費用

弁護士費用10%

合計

1

喜多一道

六八五、〇八〇

六一、二三〇

八九、五〇〇

八三、五八一

九一九、三九一

2

奥本慎一郎

二三、〇〇〇

二、三〇〇

二五、三〇〇

3

楠田義治

二二〇、〇〇〇

二五、〇〇〇

二四、五〇〇

二六九、五〇〇

4

福本昇

三〇、〇〇〇

二六、〇〇〇

五、六〇〇

六一、六〇〇

5

中西楢蔵

九〇、〇〇〇

六六、〇〇〇

一五、六〇〇

一七一、六〇〇

6

梅森

二四〇、九〇〇

二四、〇九〇

二六四、九九〇

7

中村学郎

二九、九〇〇

二四、〇〇〇

五、三九〇

五九、二九〇

8

倭善一郎

八、〇〇〇

四九、〇〇〇

五、七〇〇

六二、七〇〇

9

小川好次

一七、〇〇〇

一一五、八〇〇

一三、二八〇

一四六、〇八〇

10

松田隆男

二一、〇〇〇

二六、六五〇

四、七六五

五二、四一五

11

林田輝郎

三五、〇〇〇

八三、〇〇〇

一一、八〇〇

一二九、八〇〇

12

土井喜雄

三五、〇〇〇

三、五〇〇

三八、五〇〇

合計

一、四三四、八八〇

八七、二三〇

四七八、九五〇

二〇〇、一〇六

二、二〇一、一六六

請求債権目録

(単位 円)

番号

原告氏名

被害額

被害額

(追加分)

慰謝料

鹿害防止費用

弁護士費用

合計

1

喜多一道

六八五、〇八〇

六一、二三〇

二〇〇、〇〇〇

八九、五〇〇

一〇三、五八一

一、一三九、三九一

2

奥本慎一郎

二三、〇〇〇

五〇、〇〇〇

七、三〇〇

八〇、三〇〇

3

楠田義治

二二〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

二五、〇〇〇

三四、五〇〇

三七九、五〇〇

4

福本昇

三〇、〇〇〇

二六、〇〇〇

五〇、〇〇〇

一一、一〇〇

一二二、一〇〇

5

中西楢蔵

九〇、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

六六、〇〇〇

二五、六〇〇

二八一、六〇〇

6

梅森

二四〇、九〇〇

一〇〇、〇〇〇

三四、〇九〇

三七四、九九〇

7

中村学郎

二九、九〇〇

五〇、〇〇〇

二四、〇〇〇

一〇、三九〇

一一四、二九〇

8

倭善一郎

八、〇〇〇

五〇、〇〇〇

四九、〇〇〇

一〇、七〇〇

一一七、七〇〇

9

小川好次

一七、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

一二七、八〇〇

二四、四八〇

二六九、二八〇

10

松田隆男

二一、〇〇〇

五〇、〇〇〇

二六、六五〇

九、七六五

一〇七、四一五

11

林田輝郎

三五、〇〇〇

一〇〇、〇〇〇

八三、〇〇〇

二一、八〇〇

二三九、八〇〇

12

土井喜雄

三五、〇〇〇

五〇、〇〇〇

八、五〇〇

九三、五〇〇

合計

一、五二七、一一〇

八七、二三〇

一、〇〇〇、〇〇〇

四九〇、九五〇

三〇一、八〇六

三、三一九、八六六

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